前回は“移動の自由”について触れてみた。
今日はその自由を阻害しているモノあるいは意識について考えてみたいと思う。
現在の道路は自動車中心でつくられている
経済の成長期に消費物としても物流のインフラとしても自動車は中心的な役割を担った。加えて、自動車・道路・燃料に関わる多くの徴税や免許などの周辺の制度により行政の財源としてもその基盤を支えた。
財源になり(つまりそこには利権が存在する)、利用を伸ばしたい手段については高いプライオリティをおいて優遇措置を図るのは当然のこと。その結果、道路は自動車をよりスムースに多く流すために最適化されつづけてきた。
その結果、モーターサイクル、歩行者、軽車両、自転車、ローラースケートといった他の移動手段についての対応の優先順位は低くなった。
その、自動車に目が行きがちな意識が表現された結果が今の道路なのだ。
自動車中心度は路側帯を見るとよくわかる
一番端的に表現されているのが路側帯だ。かつて、その他大勢の交通手段を包含する場としてかなり幅広く設定されていた。まだ、自動車がさほど多くない時代、荷馬車やリアカー、自転車、歩行者が路側帯を基盤にゆるやかに道路をシェアしてきた。
その後、道路の効率化を目指した設計の中、車道の多車線化、車輌の大型化に対応した車線幅の拡大を受けて、路側帯はどんどんとその幅を狭める様になった。
こうなると、その他の交通手段はとても肩身が狭く、危険な状態に置かれる様になる。自転車は歩道に上がる様になり。軽車両はあまり道路を通行しなくなった。危険を感じてまで車道を走行し続ける人は、必要性が極めて高いか、鈍感であるかどちらかに限られる。
自動車以外の利用者の利用者はどんどん減り、車道が自動車専用化していった。ドライバーもその状態が当然となり、他の存在は単なる邪魔する存在としてしか考えなくなった。
車道(≒道路)がシェアするものではなくなり、他の手段が排除されたことで、前回触れた“移動の自由”も大分その幅を狭めたのだ。

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